〜衛星暦6年

 
衛星歴4年・・・(1998年)10月
初の大阪公演・初の大ホールでの公演で、大舞台の上に水を張ったプールを持ち込み、シャンプーを敢行する。ホールのスタッフさんに心配される。
 
衛星歴4年・・・(1998年)11月
京都大学学園祭での公演では会場前に長蛇の列ができ、初期劇団衛星が一番ノリにノっていた時期。翌12月には、大阪・扇町ミュージアムスクエアにて「脳天気番長出馬する」を上演。「扇町アクトトライアル'98」の最大の動員を誇り、衛星の一つの転機とも言える、絶賛を浴びた公演となった。
 
衛星歴4年・・・(1999年)2月
劇団衛星の運営と劇団員マネージメントのため、有限会社設立。しかし、特に仕事はなく、なぜかエッチなゲームのシナリオなどを手がけていた。
 
衛星歴4年・・・(1999年)7月
吉田神社境内特設ステージでの「血の創世記」にて、近年京都の劇団が成しえなかった1000人動員の悲願を達成。「地球が終わる前にいい思い出ができた」と喜んだが、幸い地球は終わらなかった。
 
衛星歴5年・・・(1999年)11〜12月
初の遠征公演実施。「東海道ツアー」と銘打ち、横浜・京都2箇所で公演。最後の上演は、京都に出来た新劇場「アートコンプレックス1928」こけら落としシリーズの一つ。
 
衛星歴5年・・・(2000年)3月
代表・蓮行が、8年通った大学を無事卒業。その後もしばらく、大学時代の悪い夢にうなされたという。
 
衛星歴5年・・・(2000年)5月
この頃、当時衛星の作品に多く出演していた男優達が正式に劇団員となる。「京都最ハンサム劇団」を名乗る。
 
衛星歴6年・・・(2000年)11月
国民生活金融公庫からの融資で、初めて新車を購入。あまりの性能に驚く。
 
衛星歴6年・・・(2000年)12月
20世紀最後に、劇団衛星の代表作であった「脳天気番長シリーズ」旧作3本に新作1本を加えて、一挙上演の「脳天気番長演劇祭」を、京都駅ビル・シアター1200(現・京都劇場)にて上演。一日4ステージを3日間上演するという無茶な企画であったが、最終ステージは役者が喉を潰し公演中止の事態に陥る。


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