『あなたの知らない三国志の世界』
第十八回「ユニット美人の三国志とはいったい何だったのか9」


 2012年の5月〜11月にかけて半年かけてやったユニット美人の三国志vol.0〜4。

 この連載では、せっかく半年かけて作ったんだからそのままにしておくのはもったいない。という省エネ精神から、作品について語っていこうと思います。自分で自分の作品解説なんて、どうなんだい、それなら芝居にするなよ…というようなことを書いていきますので、そういうのが嫌な人は読まない方が良いがと思います。

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その9:守ってあげたい2
前回は、この作品で三国志の部屋で謎の男が言っていた言葉「この男を救え」というのは、三国志の「英雄になる方が良い!」という世界観から救いだすことだ、というように解説しました。今回は、「それではなぜ粥見は救うってことはこの男で天下統一することだろう?という定石が間違いだということに気付けたのか?」ということをお話ししたいと思います。

○役になる
 これまでのvol.0〜3とvol.4では、粥見の三国志世界でやっていく上で、大きな違いがあります。それは、粥見が姜維(三国志後半に出てくる青年武将)になる、ということ。
 今までは、「もし、私が三国志の世界に入ったらどんな働きができるだろうか?」という、少し俯瞰した立場でシミュレーションを行ってきたわけですが、vol.4では孔明の策略によって粥見はそうとは知らず姜維になってしまいます。「もし、私が姜維だったら劉禅を救うことができただろうか?」という、ロールプレイをすることになるのです。

 これが、粥見が目標設定の間違いに気がつく一つ目の大きなきっかけになります。

 岡目八目とはよく言ったもので、事の当事者よりも俯瞰して見ている傍観者の方が、正しい答えや次に進むべき道がよく見渡すことができるものです。しかし、私は傍観者の指し示す「正しい道」って本当に正しいの?それってどうなの?と思います。皆さんも、悩み事を全く関係のない第三者に話して、正論を返されて「いや、私やってそんなんわかってるよ、でもな・・・」と、モヤモヤしたことがあると思います。
 結局、当事者がどうにかするしかないのです。渦中の中でもがいて実感したことにこそ、その人なりの真理という称号が与えられるのだと思うのです。(もちろん、その中でいかに俯瞰的な視点を持てるか、また岡目の視点を聞き入れられるかが賢さのバロメーターになるんだと思いますが。)

 粥見も、姜維という役割を与えられ、孔明の片腕として劉禅で中国統一を目指すことで、ようやく劉禅の劣等感の源を理解できるのです。また、その劣等感を乗り越えて先祖の意志を継ぎ、国力の弱い蜀が最後まで戦い抜くことが、本当に劉禅にとっていいことなのか、粥見自身がそれを良しとできるのか、疑問に思えるようになるのでした。

 そして、二つ目の大きなきっかけは、粥見が姜維で劉禅を殺した後に訪れます。
 粥見は、初めて「女性」の役割、糜婦人になります。(ちなみに、「糜」って、お粥って意味なんだよー。)糜婦人は、三国志の主人公劉備の奥さんで、長坂の戦いの際、赤ちゃんの劉禅を無事に逃がすために自ら井戸に身を投げて死ぬ、という役回りの人です。しかも、劉禅は甘夫人と劉備の間の子どもで、糜婦人とは血のつながりはありません。(劉備の奥さんって何人かいるのですが、苦労時代の夫人は誰が誰やらけっこうごちゃごちゃしており、血縁関係は実は曖昧なのですが。それは置いておきますね。)
 私演じる木下も言ってますが、「普通、三国志でそんな地味な役回りを選ぶか?」という人物なのです。基本、『三国志』に出てくる女性はたいがいそうで、すぐ死んだり、養父のために色仕掛けで死んだり、息子のために身を引いたり、兄にだまされて国に帰ったり、男に取り合いされるばっかりで名前しかでてこなかったり、とにかくすぐいなくなるのです。名前すらはっきりしないんだから、もう。糜婦人なんて糜家の夫人って意味ですから。男性はあんなにややこしい名前のくせに!(一緒に結構長いこと大活躍するのは南蛮の祝融(オホホホホ)くらい。)元々中国には「女性が実権を握ると歴史的にろくなことがおこらない」というジンクスもあって、実際はどうだったかわかりませんが、女性が表立って権力を握り活躍する記述は避けられてきたのでしょう。
 そんな中、粥見は糜婦人として生きることにするのでした。
 三国志の世界観の中では、女性の役割は確かに現代女性からするとつまらない生き方かもしれないけれども、そのつまらなさを受け入れなければ果たせないこともあるのでしょう。

 そして、粥見は血のつながらない劉禅のために、「長生きしーや。」と言い残して井戸に身を投げるのでした。
 三国志の「血を重視する」「先代の苦労に報いる」という世界観から救うために。

 結果、劉禅はもとのダメダメ劉禅として成長して、史実のとおり敵国で「母国なんか恋しくない。ここが楽しい」と言ってのけて長生きして生涯を終えます。
 粥見は、劉禅を救うことに成功したのでした。

 ・・・裏話をすると、「役についてようやく粥見はからくりに気がつく」というのは、今回この文章を書いていて気がつきました。(ええー!)
「そういや、粥見ってなんで武将にならへんのん?」的なことをお客さんだか出演者だかに言われて、「んじゃあ役付きにでもするかー」と思ったのです。糜婦人になることは初めから決めていましたが、姜維になることはvol.4書くまで考えていませんでした。あの時そう言ってくれた人(忘れましたごめんなさい)、本当にありがとうございます。今、思えば姜維にならなければ話をここまで深められなかったです・・。

 さて。しかし、しかし、なのです。成功したと思えた粥見の身投げ。それでも無惨に不正解のブザーは鳴り響きます。まだ、この三国志の世界から救うためには何らかの要素が足りないのでした。
 次回は、「宏はなぜ死ななければならなかったのか」ということについてお話しいたします。

<<おまけ:文章のどこにも入れられないけれどどうしても書きたいこと>>
 お芝居のクライマックスで、劣等感を乗り越えて賢くなった劉禅が、「己の母を思い出せ!母の血を、涙を思い出せ!戦って来た同胞の血は、今も我々の中に生きている!彼らの魂を忘れるな!」と絶叫し倒れるシーンがあります。後ろには、真野さん(出産おめでとう!)演じる実母の甘夫人がその様子を見て何か言っているのですが、戦乱の声で聞こえません。孔明(策士)が「大丈夫。あっくん(劉禅)ならまた立ち上がれるよ」と母の声を代弁するかのように劉禅を煽り、劉禅をズタボロになるまで戦わせるのですが・・・。
 この時、甘夫人は本当はラストの粥見と同じく「長生きしーや」と言っていたのです。
 これを考えついた時、稽古場はおおいに湧き「涙がとまらん!悲しすぎる!!」と、大興奮だったのですが・・・。実際に舞台でやってみると誰にもわかってもらえませんでした。そんな唇の形を読み取れるような技術が、お客さんにあるわけもないので(もちろん私たちにもありません)、当たり前なんですが・・・。なんか、出演者以外にも知って欲しくてつい書いてしまいました・・・。

 めっちゃ笑えるシーンを思いついたときと違って、これは泣ける!ひー!悲しい!というシーンを思いついたときも大興奮するんだな、と知ったのがいい思い出です。あと、笑えるシーンはいいのに、泣けるシーンの場合は罪悪感を伴うのも初めて知りました。