『あなたの知らない三国志の世界』
 第十一回「ユニット美人の三国志とはいったい何だったのか5準備編」

 2013年の5月〜11月にかけて半年かけてやったユニット美人の三国志vol.0〜4。

 この連載では、せっかく半年かけて作ったんだからそのままにしておくのはもったいない。という省エネ精神から、作品について語っていこうと思います。自分で自分の作品解説なんて、どうなんだい、それなら芝居にするなよ…というようなことを書いていきますので、そういうのが嫌な人は読まない方が良いがと思います。

その5:嫌われR布の一生 準備編

○呂布って誰だ?
 さて。初めの方で述べたとおり、三国志をひととおり読んで、私が一番気になったのは呂布でした。
 とにかくめちゃくちゃ強い。それだけは確かなようです。
 「裏切り者」だの、「頭が悪い」だの、いろいろな描かれ方をしていますが、それは歴史をまとめる人のさじ加減でどうにでもなるものでしょうから、どれにも共通するのは「ただただ強い」というところ。そこに真実があるような気がします。
 ではまず、呂布についての基本データを下に並べてみましょう。

 生まれた年 不明
 189年 董卓軍に加入(養父丁原を殺害)
 190年 虎牢関の戦い(めちゃくちゃ強い)
 192年 都から出る(董卓を殺害)
     袁術を頼るが拒否られる
     袁紹を頼る
 194年 曹操を裏切った陳宮、呂布の軍師になる
 195年 曹操と戦う
 196年 劉備を頼るがすぐ城を奪う
 197年 娘を袁術と政略結婚させようとするが失敗する
 198年 曹操・劉備軍と戦い負ける。死刑に。

 おお。歴史の表舞台に飛び出してからわずか10年たらずの命。
 長生きこそが勝者への道なんですね。

 生まれた年が不明なので、何歳かわからないのですが、
 養父を殺して董卓軍に入るあたりが反抗期だったから?15歳くらいか?あるいは、独立を考えだす20代半ばなのか?それでだいぶ印象がかわりますね…197年に結婚させようとする娘がいるあたり、このあたりで30歳は超えていたと推測できます。
 なので、20歳〜30歳のあたりに歴史に躍り出て、30〜40歳でその生涯をとじたことになるのではないでしょうか。

 また、呂布=強いという認識は三国志好きの間では常識となっていて、それは以下の数字をみてもわかるのではないでしょうか

<KOEI シミュレーションゲーム三国志シリーズの場合>
パラメータ
三国志 武力100
三国志2 武力100
三国志3 武力100
三国志4 武力100
三国志5 武力100
三国志6 武力100
三国志7 武力98
三国志8 武力100
三国志9 武力100
三国志10 武力100
三国志11 武力100
三国志12 武力100

武力は、12作品連続No.1!!

 まるで化粧品の口コミ情報のような感じだ。
 また、これだけの古典だと「実はリチャード三世は悪いヤツではなかった」だの、「劉禅はアホの子じゃない」だの、固定観念に異論を唱える人も出るのだが、「呂布は実は弱い」という単語にひっかかるデータはまるでなし。
 呂布は強い。このことを覚えていただいて、次回からの話をよんでいただけたらと思います。