『あなたの知らない三国志の世界』 第七回「ユニット美人の三国志とはいったい何だったのか2終」 おめでとうございます。2013年もよろしくお願いいたします。 2012年の5月〜11月にかけて半年かけてやったユニット美人の三国志vol.0〜4。この連載では、せっかく半年かけて作ったんだからそのままにしておくのはもったいない。という省エネ精神から、作品について語っていこうと思います。自分で自分の作品解説なんて、どうなんだい、それなら芝居にするなよ…というようなことを書いていきますので、そういうのが嫌な人は読まない方が良いかと思います。 *** ●前回までのあらすじ 『三国志』をやるにあたり、「戦争」をテーマにしようとするが自分の中に「戦争」に対する思いが何もなかったことに気付いた黒木。さてどうする。 その2後のつづき:「さいごのモチーフ」 ○身を削る決意 そこで、身を削ることにしました。今の自分が叫び出したいほど戸惑い、困惑していることは何なのか。 それは、「たぶん自分は子どものいない人生を送るだろう」ということ。ちょうどそのころ「35歳から卵子が老化!?妊娠の可能性が半分に!もっと早く知っていれば・・・」がブームになっており、私は「ちょっと!聞いてないよ!!!」と、まるで原発に対して「ウソだったんだぜ」と歌ったミュージシャンのようになっていたのです。 「のんびりかもしれないが、ちょっとづつ前に進んでいったら、いつか私もまともな心の広い女性になって、ご縁があれば結婚して、まあ閉経までに妊娠したらいいんじゃない?」とゆるく考えていた自分に突然突きつけられたタイムリミット。マジか。だからあんなにみんな恋愛に対して貪欲で、結婚を焦っていたのか。親は心配していたのか・・・。私は何もわかっちゃいなかった・・・。佐々木倫子や幸田文ばかり読んでないで、『君に届け』とか恋愛小説とかを愛読していればよかったのに!たのしく頑張って生活していたら幸せになれるんじゃなかったのか?!自分の仕事や生活に加えて恋愛とか結婚とかのことを考えなければいけないなんて誰も教えてくれんかったもん・・・みんなの嘘つき! そんなどうしようもない馬鹿の叫び。ちゃんと人生について考えている女性や不妊に悩む女性が聞いたら怒りだしそうな思い。今、書いていても恥ずかしい考えだけれども、本当に心からそう思っていること。 さらっと「身を削ることにしました」と書いたけれど、こんな馬鹿なことを高らかに表明するのは恥ずかしいし、もっとカッコいい哲学や、社会や、他人の心情を書けるようになりたかったということもあり、実際はかなり迷いました。こんなことではいつまでたっても「等身大の女性の・・」しか描けないのではないか。そんなことでいいのか。そんな姿勢で私は演劇を続けていけるのか。私のクセで拡大して他の悩みまで取り込ませて混ぜてしまって、クヨクヨ悩み、悩みまくりました。そしてどうしようかと思ったときに、ふと好きな言葉を思い出したのです。フランシス・ピカビアの抽象画についたタイトル『そんなことはどうだっていい』。 どうでもいいことじゃなくて、くだらないことを考えたい。 その言葉ですっと楽になれました。私のそんなことはどうでもよくて、私はくだらないことにはまる人間の滑稽さが愛おしいし、これからも考えていきたい。くだらない姿に陽を当てて、見た人が「くだらないなー」って、ちょっとでも楽しい気持ちになって、いろいろあるけれど頑張ろうと思ってもらえればそれでいいじゃないか。そう思えたのです。 ○タイムリミット・複雑な人生から逃げる話 vol.0で宦官の単超が言ったセリフ、 “人間は生殖以外の方法で遺伝子を残すことができるのです。それを私たちに体現させてください。この世界の中心で、人間はその方法を編み出すのです。私たちの存在、それは、きっと、きっと次に来る新しい時代の意思なのです” これは、「子どもを持つこと」をのんきに考えていた私の考えです。今でも、そう思っています。物質的に豊かになるにつれ、一般的に出生率は下がり、教育に手間をかけ出します。これは人類だけに限ったことではなく、ほ乳類の生存戦略だと聞いたことがあります。たくさん卵を産んで強い子だけを残すのではなく、ある程度強くなるまで母親のお腹の中で育て、さらに独り立ちできるようになるまで面倒を見る。社会化が進むと、生物的にだけでなく社会的に独り立ちできるようになるまで面倒を見るし、より生き残るための複雑な情報を伝えるために言語を発達させ、文化を継承させ、さらに芸術や哲学、科学ともう、いろいろと過保護シャワーを子に浴びせます。だとするならば、その過保護シャワーの一端に紛れ込めば、生物学的なDNAを残すことはできないかもしれないけれど、社会学的な血を子世代に遺すことができるのではないでしょうか?しかもこの方法なら、なんと妊娠・出産・育児というリスクを背負うことがないのです!すげー! しかしながら、この理屈を「その通りだ!」と心から思い「命の危険をおかして子ども産まずに済んで、ラッキー!」と思う人はまだまだ少ないと思います。実際、私もどうしてもそう思えない。どんなに理論武装しても湧き出てしまう、この気持ちは何なのか。これは動物的な本能なのか、それとも文化的な呪縛がそうさせるのか。 そして最大の問題は、このことを「ま、それはヒマな時に考えることにして、仕事仕事!」と片付けてしまえるということ。ひとむかし前ならば流れのまま生きていたら結婚して子どもコースに乗れたのでしょうが、今は育つ文化によっては、流れのまま生きていたら気付けば子ども持たない人生コースに簡単に乗れます(それが私だ)。タイムリミットだなんだとギャーギャー騒ぐ一方で、それより仕事だし余計なこと考えない生活の方が楽だという気持ち。 そこで、そのままそれを作品のフレームにしました。ひょんなことから三国志の世界に紛れ込んだ主人公。早くもどらないと会社をクビになる。が、三国志の世界をいろんな方法でクリアしていくのは、なかなか楽しい。 三国志の世界:仕事 現実の世界:いろいろある現実 会社をクビになる:よくわからないタイムリミット と、いうわけです。 なんやかんやあって、いよいよ主人公の粥見とともに、三国志と戦争と、妊娠のタイムリミットをめぐる冒険の準備が整ったのでした。 (つづく) |
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