(15)橋本裕介×紙本明子


<橋本裕介プロフィール>
1976年、福岡生まれ。学生劇団を経て、1999年に劇団衛星入団。主にプロデューサーを担う。2003年退団。以降、京都を中心に、様々なイベントのプロデュースを手がける。
2010年〜「KYOTO EXPERIMENT」プログラムディレクター。2014年〜ロームシアター京都開設準備室勤務。




紙本:今は何をしてらっしゃるんですか?

橋本:今は、来年1月オープンの「ロームシアター京都」(京都会館)の再整備をしています。

紙本:おお、今、一番ホットな場所。じゃあ、今、お忙しい?

橋本:忙しいね〜。



===この後、30分くらい、紙本の人生相談に乗ってもらう===


橋本:衛星に入ったのは、1999年だね。

紙本:衛星での、衝撃的な思い出とかありますか?

橋本:衝撃的な出来事といえば、岡嶋さんが喉を潰す。笑(※2000年12月「脳天気番長演劇祭」の時、主役の岡嶋秀昭の声が出なくなり、最終ステージが公演中止になるということがありました。あの時は大変申し訳ありませんでした。)

紙本:ああ。

橋本:冗談です。笑

紙本:シアター1200の時の。私はまだその時、衛星の存在を知らなかったです。

橋本:そうか。あれは大変だったな笑


紙本:橋本さんは、なぜ衛星に入ったんですか?

橋本:最近は、僕も、アーツマネージメント講座などで話す機会をもらうんだけど。(僕らが始めた頃は)別に、大学でそれを専門的に学んだりしたわけでもなんでもなくって、衛星に入って、見よう見まねにやりながら、制作という仕事を自分なりに考えて、今に至った、というところがある。だから常に、衛星の話はしてるんだよね。どこから話そうかな・・。



入ったきっかけは、なんでもいいから衛星に関わりたかった。


橋本:大学入った時から、舞台の仕事をしたいと思っていて。まずは学生劇団「ケッペキ」に入ったんだけど、やっぱり学生劇団は人が入れ替わり立ち替わりするし、どこか劇団に所属しようと。卒業してもちゃんと演劇を続けていきたいと思った時に、半分学生でかつ外でも公演をうっている劇団が、(自分の周辺にあったのが)「劇団衛星」と「劇団その1」で、どっちかなーと思ってて。

紙本:なるほど。

橋本:大学一回生の時かな、朝から晩まで衛星の作品を一挙上演みたいなことをやってたんだよね(※1998年1月「大実験劇場」)。その公演は、本当はNF(京大学園祭)でやる予定だったみたいなんだけど、NF事務局から止められたかなんかで、その腹いせに、吉田寮食堂で朝から晩まで過去の衛星作品の上演やる。というバカなことをやってて笑。そういう馬鹿さ加減とか含めて、これはちょっとなんかあるなと思ってたんだよね。
ただ、当時、自分は売り込めるものが何もなかったから、とりあえず自分は、ケッペキ関係の作品に関わって、それこそ蓮行さんに声をかけてもらえるように、活動をアピールしていたんだよね。そしたら、ある時、「総理・保科仙吉」で出ないかって言われたんだよ。(※1999年4月「総理・保科仙吉」会場:アトリエ劇研&シアターポシェット)

紙本:へー。

橋本:・・あ、違う。それはね、出ないか?って言われたんじゃないわ。「衛星が橋本くんに出演オファーするらしいよ。」みたいなことを友達から聞いて、いつだろう、いつだろうって思ってたんだよ。ほんで、別の公演の仮チラシを刷るために吉田寮の輪転機のところにいったら、「速報!保科仙吉」っていうチラシが落ちていて、その出演者の欄に、“橋本裕介”って書いてあった。

紙本:あはは!!(爆笑)むちゃくちゃや。

橋本:そう、そういうむちゃくちゃさが面白かったよね笑。それで、その公演に出て、公演終了後の反省会みたいなものにも出席したりして。あ、でも、その時なんかは、岡嶋(秀昭)さんが蓮行さんに噛み付いてたりしてたな。

紙本:ええ!岡嶋さんが!

橋本:蓮行さんが「動員が少ない。もっと次からお客を入れないといけない!」みたいな檄を飛ばした時に、岡嶋が「それは芝居がつまらんからですよ。」とか噛み付いてたよ笑。ほんで蓮行さんがしゅんとする。みたいな笑

紙本:ええ!岡嶋さんが〜。

橋本:そうそう。で、まあ色々あって、次は野外公演をやるぞ!となって、吉田神社でやろう、ということになったんだけど、まあ場所もまだ押さえてないしという状況だったんだよね。・・で、記憶が定かじゃないんだけど、ちょうど僕の家が吉田神社の近所だったからなのか、蓮行さんに「橋本くん行ってきてよ。」って言われて、「え、あ、はい。」みたいな。

紙本:ええ・・!客演だったのに?

橋本:そう笑。で、神社に交渉に行ったんだよ、手ぶらで。

紙本:あっはっは!!企画書とかは?

橋本:丸腰で笑。で、宮司さんに「君アホか。」って言われた。でも、何にもわからなかったからさ。そしたら、宮司さんが「こういう場合は、公演の企画書とか、君が何者なのかわかる資料を持ってくる必要がある。」と教えてもらって。「企画書ってなんですか?」みたいな。そこから、企画書の書き方みたいなものも教えてもらって、何回か持って行って、宮司さんに企画書指導をしてもらって笑

紙本:蓮行さんではなく?

橋本:そうそう。で、なんとか会場を借りれることになって。そしてたら蓮行さんが「おお!よくやった。じゃあ橋本くんがプロデューサーだ!」って笑。そこから、衛星に入ったんだよね。

紙本:むちゃくちゃや。

橋本:でも、まあ本当にプロデューサーなんて未経験だったし、右も左もわからなかった。当時は亀本(伸彦)くんとか植村さんとか経験者がいたので、色々支えてもらって、なんとかやっていけたなあ。
あと、学外で、劇場ではない場所でやれたものもよかったよ。学生劇団でやってたことや演劇の世界では当たり前みたいなものは、外にはなくって。それこそ宮司さんに、「チラシは演劇を普段観ない人に向けたものも作った方がいい。これじゃあ意味がわからんから。」とか「近所の人に、事前に挨拶して、音の出る時間帯などお知らせに行った方がいい。」とか本当に色々教えてもらった。2〜300軒、劇団員総出で近所の家を回ったりしてね。仕込み中も通りすがりの近所の人たちとコミュニケーションを積極的にとりに行ったり、本当に鍛えられたなあ。幸い、近所の人たちも見に来てくれて、お客さんがいっぱいきてくれたんだよね。(※劇団衛星が初めて1000人動員した公演です!)・・で、結局、公演も黒字になってさ。

紙本:おお!

橋本:蓮行さんに、「橋本くん頑張ったから。」って1万円もらった笑。

紙本:その時、橋本さんはどう思ったんですか?

橋本:「え!芝居やってお金もらえる!」って。「これは、いけるわ。」って勘違いしたね笑。

紙本:それで、今に至る。

橋本:そうだね。今の自分のきっかけだったな。

紙本:すごい、面白いなあ・・。

橋本:「保科仙吉」が、1999年の4月だったかな、ほんで「血の創世記」(※その吉田神社でやった公演)が7月だったから・・。

紙本:え、間、3ヶ月!・・で、野外公演やったんですか?

橋本:おかしいよね!

紙本:おかしいです。今だったら考えられへんなあ。

橋本:その後も、99年は12月にアートコンプレックス1928のこけら落とし(※「脳天気番長椎茸を栽培する」)やって、その次の5月にまたアートコンプレックス1928で新作(※「千年王国の避難訓練」)やって、その間にも公演打ってたから、もうやりすぎだよね。(※植村注:2月に神戸で「結べ!指魔術千手観音」をやってました。さらに、アートコンプレックス1928こけら落としの「脳天気番長〜」は、11月に横浜で同シリーズの前作を上演する、という初ツアー企画でもありました。)

紙本:若い時ってそうなんですかね。

橋本:いや、中でもやりすぎだったと思うな笑。でも、蓮行さんも僕の泳がし方がうまくって、その頃関西でお客集めている劇団で「劇団赤鬼」と「劇団☆世界一団」があったんだよね(※神戸と大阪で活躍中だった劇団)。そこにはちゃんと「プロデューサー」っていう肩書きで、男性で、ちょっと年上の人がいてさ、その人たちと競わせるように仕向けてた気がする。  

紙本:なるほど。

橋本:その後は、チラシづくりとかに、めちぇくちゃこだわってたね。

紙本:確かにそうでした。面白いチラシいっぱいありましたよ。

橋本:「絵殿」(※2002年3月、アルカイックホール・オクトオリジナルミュージカルとして上演した特別興行)の写真撮影は面白かったよね。

紙本:ああ、懐かしい!奈木野(健次)くんが全身金色で笑




橋本:そうそう笑。京大の馬術部に馬借りたり。何時間も撮影に時間かけたなあ。

紙本:めちゃくちゃこだわってましたね。

橋本:だんだん、自分の関心の在りどころが、どう宣伝するか?ってことにシフトしていった部分があったな。作品をどう創っていくかとか、そういったことで蓮行さんと話す機会がどんどんなくなっていった部分があったね。



衛星を辞めてフリーになって


橋本:これは蓮行さんに感謝してるんだけれど、蓮行さんはもともと、「衛星のお客を増やすためには、演劇を見るお客を増やさなきゃいけない」って言ってたのね。「そのためには、衛星の芝居がない時には、他所に手伝いに行って、衛星でうまくいった方法は、他所に提供してこい。」って言ってくれてた。それに後押しされて、いろんなところに顔を出していくうちに、一つの劇団にとどまるのでは無く、自分の意思でいろんな仕事をしていくという、欲望というか、自分の仕事の理想的なスタイルが生まれたんだよね。

紙本:でも、衛星辞めてフリーになってからの橋本さんの、京都演劇界での活躍っぷりはやっぱりすごいし、「Kyoto Experiment」とかすごいですよ!蓮行さんもそこは「たいしたもんだ!」と褒めてましたよ。えらそうですけど笑

橋本:あははっ。

紙本:退団したのは?

橋本:辞めたのは2003年だね。

紙本:ええ!短い!4年。もっと長かったように思います、橋本さんと一緒に劇団でやっていたの。

橋本:ねえ。あの時は1年が長がったなー。若かったからかな。

紙本:若かったですけど、相当苦しかったですねえ、あの時は。笑



===この後、25分くらいまたもや紙本の人生相談が始まり===


橋本:いや、僕も今、結構悩んでるな。

紙本:何をですか?

橋本:色々な立場で仕事をさせてもらって、色々知っちゃうんだよね、知りたくないことも笑。ほんでさ、京都の文化芸術の状況がこのままでは停滞してしまうんじゃないかって、思うんだよ。そのこととどう向き合うか。仕事のやり方をどうするかって一番焦ってる。

紙本:橋本さん、そうですね。大なり小なりありますよね。



====この後、ここには書かない方がいいような内容が続き====


橋本:話題変える?!

紙本:そうですね!じゃあ、今 橋本さんが衛星に対して想うことや、未来の衛星に一言お願いします。

橋本:やっぱ20年はすごいよな〜って思う。贈る言葉としては・・蓮行さんには、若者をそそのかしてほしいなって思う。そういう意味では、僕もそのうちの一人だと思うし、過去の劇団員もそうだし、そうやって、蓮行さんにそそのかされた人がいろんなところに散って、活躍してるって言えると思うんだよね。結果的に、今一緒に仕事してなくっても。それこそ、蓮行さんの言葉で言えば、もちろん衛星がちゃんと存続していく為に、お客さん集めたり、お金を稼ぐことは必要だけれど、衛星だけでは成り立たなくって、舞台芸術の状況が豊かであるからこそ、衛星もちゃんと活動できるんだよね。

紙本:なるほど。そういう意味では、今は主に、「劇団しようよ」と「ソノノチ」っていう、20代の劇団をそそのかしてますね。

橋本:ああ、そだね。うれしかったんだよね、(劇団しようよが)勝手に「しようよエクスペリメント」とかやってくれたの。略して「SEX」笑。(※2013年のKEXの時、劇団しようよは、オープンエントリー企画として、会場周辺で路上パフォーマンスを展開していた。)

紙本:そうだった、やってましたね!あと、最近は(蓮行の)アシスタントに若い女子が数名います。

橋本:いいね!おじいちゃんみたいだね。

紙本:ほんまやっ。

橋本:ずっと同じ話してるんだろうな。

紙本:してますね。

橋本:おじいちゃんだね。笑


おわり